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立山登山の後には〜その2〜

昔は木を伐採して側に流れる川を使って木を輸送していたらしいですが、
ダムが作られた為に出来なくなったそうです。
ダム建設の闘争の第一村なんだとか。
そんな川を見て説明をして頂きながら集落の方へ。
集落の入り口に植えられていたのはこの木

この木で季節を読んで作業を進めていたのだとか。。。

集落内は車が乗り入れられないらしく、入り口付近に住民専用の駐車場が。


集落の説明が



江戸時代などは「塩硝」作りや養蚕や和紙作りが盛んだったそうです。
「塩硝」は火薬の原料で加賀藩などに納めていたとか。。。
ちなみに、「塩硝」は家の地中深くに穴を掘って発酵?させていたのだとか。

屋根にばかり視線がいきがちな合掌造り。しかし、下にも多くの知恵が。
少しわかりにくいけど

普通なら石を平にして柱を乗せるのだけど、上が緩やかにカーブしている石が。
そして、柱もそれに合うようにカーブさせて作ることで強度が増すそうです。
世界遺産や史跡なので、修復も同じようにしないといけないんだとか。
家の梁もあえて少し曲がっている木を使うことで強度が増すんだそうです。

屋根の上にも工夫が

使われているのはローブかと思いきや、この木の枝

ガイドの方が見せてくれたのですが、意外と切れそうで切れなかったです。

屋根は2重構造

下の太い枝は「アサ」だけど、今は栽培禁止なので無害で許可されたのを
購入しているそうです。
「アサ」を下に入れることで屋根の強度が増すんだそうです。
ちなみに、壁は杉皮でした。

昔からの生活をそのまま維持しているので風景も

側に山があるので、山の木と地面が濾過してくれる水と少ない土地での
農業を今も守っているそうで、電気は電線が地中下されているんだとか。

家の横にあるこの水溜め場

野菜とかを冷やすのかと思いきや、雪を溶かす為にあるんだとか。
これも昔からの知恵です。

そして、農作物を育てている畑のには

屋根で使われていた「かや」が地面に敷かれていました。
農作に良いそうです。
そうやって、家で使っていた「かや」は農作で使って時間をかけて土に。
木は炭火などにして燃料に。
全てを使って自然に返して再び自然の恵みを受け取るんだそうです。
農作物もイノシシとかとの競争だけど、知恵比べで共存しているんだとか。
日本に元々あった「もったいない」や「ものを大切にする」という
精神が菅沼集落には今も息づいていました。

世界遺産で修理修繕も時間がかかって大変だそうですが、本当に
この雰囲気をそのまま未来永劫続いて欲しいとおもいました。

ガイドさんは本当は1時間の予定だったのですが、色々と尋ねると
丁寧に答えてくれるので炎天下で1時間半ガイドして頂きました。

その後は車で白川郷へ。
大きな駐車場で少し待って駐車。
しかし、五箇山菅沼集落に行った後だっただけに行って本当に残念でした。
完全に観光者目当ての合掌造りの野外施設って感じでした。
菅沼ではお土産屋さんも「ちりめん」で作られたものが多かったのに、
お土産を全面に出した感じの施設内店舗。
山も遠く、合掌造りに似せて作られた茶色く塗られた普通の家もチラホラ。
あのポスターとかに乗せられている風景はいずこ?って感じでした。

なので、早々に白川郷から退去して高速で帰路へ。
帰りは名古屋経由で新東名で帰宅。
もちろん、サービスエリア巡り付き(笑)
少々渋滞に巻き込まれたけど、翌日の仕事に差し支えの無い時間に帰宅。

by mie
日記 : 21:59 : comments (x) : trackback (x)
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